信州ドクターの連携プレー
2011年02月17日
息子を出産した総合病院で、健診を受けているときにこんな話を聞きました。
当時担当してくれていた先生が異動することになり、異動先は大学病院になるんですが、いろいろなケースを勉強するためにくるくると異動するのだそうです。
病院の種別としては、第一種(?)が個人クリニック、第二種が中堅の総合病院、第三種がこども病院や大型の総合病院と分けられていて、命が危ない子どもや1000g未満で生まれた子は第三種で診るそうです。
それぞれ、こういう子はここと、役割分担がはっきりしていて、さらに長野は都会に比べてその数も少ないので、小児科医どうしがほとんどみんな顔見知り。
「これはあそこに頼もう」とすぐに判断できるので、たらい回しがほとんどない。
そして新生児の死亡率が全国で一番低いそうです!!!
田舎には田舎のいいところが!!
私がもし都会で出産していたら、息子も私もどうなっていたか・・ぞっとします。
息子は長野で生まれるべくして生まれたんだ・・と、ちょっと大げさですが、浸ってしまいました。
当時担当してくれていた先生が異動することになり、異動先は大学病院になるんですが、いろいろなケースを勉強するためにくるくると異動するのだそうです。
病院の種別としては、第一種(?)が個人クリニック、第二種が中堅の総合病院、第三種がこども病院や大型の総合病院と分けられていて、命が危ない子どもや1000g未満で生まれた子は第三種で診るそうです。
それぞれ、こういう子はここと、役割分担がはっきりしていて、さらに長野は都会に比べてその数も少ないので、小児科医どうしがほとんどみんな顔見知り。
「これはあそこに頼もう」とすぐに判断できるので、たらい回しがほとんどない。
そして新生児の死亡率が全国で一番低いそうです!!!
田舎には田舎のいいところが!!
私がもし都会で出産していたら、息子も私もどうなっていたか・・ぞっとします。
息子は長野で生まれるべくして生まれたんだ・・と、ちょっと大げさですが、浸ってしまいました。
・・・そして、裏話④ 〈持ち物編〉
2011年02月13日
シリーズ〈私のお産〉、最終日の今日は、ちょっと軽めに「入院の持ち物」です。NHK風(笑)
出産・入院する予定だったクリニックは、今流行り(?)の、ホテルみたいな、いたれりつくせりな感じのところでした。完全個室で料理もおいしく、持ち物もほとんどクリニックで準備してくれる。だから、本当に言われたとおりのものしか準備していませんでした。
入院3日目、ゆうべ飴をなめて、なんとかしのいだ夜も明け、ようやく食事が出てきました。といっても、重湯と具のない味噌汁。見事にすべて液体で、粒がひとつもありません。それでも嬉しくて、さあ食べよう!としたその時・・
はっっ・・どうやって食べるんだろう!?
一瞬頭の中がすごく混乱しました。(自分は3秒くらい完全に止まった)落ち着いて考えてみると、何かが足りない、そう、食べる道具がない。看護師さんにお箸借りてもよかったんですが、目の前にあるのは、そう、液体。借りるまでもなく、
両手でお茶碗を持ち、飲み干しました!!
その日の午前中に夫が来る予定だったので、お箸を持ってきてもらいました。やれやれ、これでご飯が食べられるぞ・・と思っていた矢先のこと、今度はヨーグルトが出てきました。またしばらく止まって・・(思考回路が鈍っているので、スプーンを一緒に持ってきてもらうという発想がなかった)
ヨーグルトを一気にお箸でかきこみました!!
なんか、むなしー。人に見られたくない。カーテンがあってよかった(笑)その後はお見舞いでヨーグルトをいただき、使い捨てのスプーンがついていたので、洗って使いまわしていました。歯ブラシも同じく、歯を磨こうと思ったら磨けなくて、夫に持ってきてもらう始末。
また、服装についてクリニックからは、「夏だし、Tシャツに短パンでもいいですよ」と言われていました。結果、授乳口つきパジャマも買うことなく・・しかしここに入院になって、4人部屋なので、エアコンを自分勝手に変えることもできません。幸い手術後は38.0度くらいの高体温が2,3日続くので、寒がりの私でも寒くはなかったんですが、平熱に戻ってからは寒くなってきました。
そして、半年振りくらいに穿く・・はずだった普通のサイズのパジャマのズボンも、腰のゴムが傷口にあたって痛くて穿けず、入院中は穿いて来たマタニティ用のジャージを穿いていました。マタニティは本来ゴムの部分がおなかの上(胸の下)までくるのですが、もうおなかも大きくないので、腰で穿いていたら、お尻の部分が下へ下がって・・想像つくでしょうか?点滴につかまって歩くとき、腰を曲げてよたよたしているので、これじゃ後ろから見ると、
オムツの下がった、よたよたのお年よりだぁ~
て感じで、恥ずかしかったです。しかもTシャツの裾が長ければまだいいんですが、私は短いのが好きで、余計にお尻が目立つ・・。でもここは病院、みんな見逃してくれるよね!?
みなさんも「念のため」に準備しておいた方がいいかもしれません・・
シリーズ読んでくださり、ありがとうございました
(おわり)
出産・入院する予定だったクリニックは、今流行り(?)の、ホテルみたいな、いたれりつくせりな感じのところでした。完全個室で料理もおいしく、持ち物もほとんどクリニックで準備してくれる。だから、本当に言われたとおりのものしか準備していませんでした。
入院3日目、ゆうべ飴をなめて、なんとかしのいだ夜も明け、ようやく食事が出てきました。といっても、重湯と具のない味噌汁。見事にすべて液体で、粒がひとつもありません。それでも嬉しくて、さあ食べよう!としたその時・・
はっっ・・どうやって食べるんだろう!?
一瞬頭の中がすごく混乱しました。(自分は3秒くらい完全に止まった)落ち着いて考えてみると、何かが足りない、そう、食べる道具がない。看護師さんにお箸借りてもよかったんですが、目の前にあるのは、そう、液体。借りるまでもなく、
両手でお茶碗を持ち、飲み干しました!!
その日の午前中に夫が来る予定だったので、お箸を持ってきてもらいました。やれやれ、これでご飯が食べられるぞ・・と思っていた矢先のこと、今度はヨーグルトが出てきました。またしばらく止まって・・(思考回路が鈍っているので、スプーンを一緒に持ってきてもらうという発想がなかった)
ヨーグルトを一気にお箸でかきこみました!!
なんか、むなしー。人に見られたくない。カーテンがあってよかった(笑)その後はお見舞いでヨーグルトをいただき、使い捨てのスプーンがついていたので、洗って使いまわしていました。歯ブラシも同じく、歯を磨こうと思ったら磨けなくて、夫に持ってきてもらう始末。
また、服装についてクリニックからは、「夏だし、Tシャツに短パンでもいいですよ」と言われていました。結果、授乳口つきパジャマも買うことなく・・しかしここに入院になって、4人部屋なので、エアコンを自分勝手に変えることもできません。幸い手術後は38.0度くらいの高体温が2,3日続くので、寒がりの私でも寒くはなかったんですが、平熱に戻ってからは寒くなってきました。
そして、半年振りくらいに穿く・・はずだった普通のサイズのパジャマのズボンも、腰のゴムが傷口にあたって痛くて穿けず、入院中は穿いて来たマタニティ用のジャージを穿いていました。マタニティは本来ゴムの部分がおなかの上(胸の下)までくるのですが、もうおなかも大きくないので、腰で穿いていたら、お尻の部分が下へ下がって・・想像つくでしょうか?点滴につかまって歩くとき、腰を曲げてよたよたしているので、これじゃ後ろから見ると、
オムツの下がった、よたよたのお年よりだぁ~
て感じで、恥ずかしかったです。しかもTシャツの裾が長ければまだいいんですが、私は短いのが好きで、余計にお尻が目立つ・・。でもここは病院、みんな見逃してくれるよね!?
みなさんも「念のため」に準備しておいた方がいいかもしれません・・
シリーズ読んでくださり、ありがとうございました
(おわり)
・・・そして、裏話③ 〈赤ちゃんと対面編〉
2011年02月12日
翌日になり、赤ちゃんに会いに行けるようにと、リハビリが始まりました。そんな大げさなものじゃないんですが、NICU(新生児集中治療室)には、車椅子に乗れなければ行かれません。車椅子に乗るためには、「座る」という状態をキープしなければなりません。寝返りを打つだけでも激痛なのに、そんなことができるのか、かなり弱気でした。
看護師さんの力を借りて、ゆっくりゆっくり、まずは起き上がること。しつこいですが、激痛です。歯を食いしばって耐えます。(傷口としては、もう歩いても問題ないほどくっついているらしいのですが。)
起き上がると、今までずっと横になっていたので、頭がくらくらして、平衡感覚が保てません。おなかに力も入らないので、座っていられず、すぐに倒れてしまいます。また、起き上がると、今まで子宮で上に持ち上げられていた内臓がだんだんと下に下がってくるのを感じました。それも痛みがあります。「内臓が動くのをこんなにも感じるなんて、なんて貴重な体験なんだ!!」と思いました(笑)
こうしてしばらく起き上がった状態をキープする練習をして、その後、立ち上がる練習。足にうまく力がはいりません。転びそうで怖かったです。足って使ってないと、すぐにうまく使えなくなるんだと知りました。そして歩く練習。おなかが痛くてまっすぐ立てないので、最初は90度くらいに腰を曲げて、点滴の台につかまって、一歩一歩ゆっくりゆっくり前に出ていきます。そして一人でトイレに行けるようになりました。(露骨な話ですが、トイレで小をすると、膀胱がぎゅーっと縮まり、同時に傷口もぎゅーっと縮まって、これまた激痛。膀胱ってこんなに縮まるんだと思いました(笑)排泄物を出すだけでも、体ってすごいことしてるんだな。しばらくトイレに行くのが憂鬱でした。)
朝から夕方までそういう練習をして、いざ車椅子でNICUへ。夫に車椅子を押してもらいながら、一歩一歩近づくにつれ緊張。「この扉の向こうにいるんだよ」と夫。重々しい扉を二つ通り、手を殺菌消毒し、白衣を着て、わが子の保育器に近づいていきます。部屋の中はちょっと暗くて、ケースはライトアップされています。
初めて見る自分の子。ゆっくり動いていて、波に揺られてるみたい。目はつぶってるけど、表情は豊かで、伸びたり縮んだり、ひょっとこみたいな顔になったり。ただただ呆然と見ていました。触ってみると、今にもほろっととれそうな肉付きで、弱々しい。そのうちに泣き出しました。看護師さんが哺乳瓶の乳首をくわえさせたり(おっぱいを吸う練習で準備してある)、自分の手にうつ伏せにのせて、背中をとんとんしてあやしたりしています。私はまだおなかに力が入らなくて、抱っこすることができず、何もしてあげられないことがかわいそうで、また涙が止まらなくなってしまいました。「そんなに泣かないで。ごめんね、ごめんね」とひたすら謝りました。
ずっと見ていたかったけど、体もつらくなってきたので、病室に戻りました。同室の普通分娩のママたちは、分娩した日から自由に歩き回って、普通に食事しています。2日間点滴だけで何も口にしていなかったので、夜中におなかが空いてしまい、看護師さんに飴をもらいました。本来は翌朝まで食べてはいけないんですが、飴ならいいだろうということで。
それがわが子との初対面の日でした。
(つづく・・)
看護師さんの力を借りて、ゆっくりゆっくり、まずは起き上がること。しつこいですが、激痛です。歯を食いしばって耐えます。(傷口としては、もう歩いても問題ないほどくっついているらしいのですが。)
起き上がると、今までずっと横になっていたので、頭がくらくらして、平衡感覚が保てません。おなかに力も入らないので、座っていられず、すぐに倒れてしまいます。また、起き上がると、今まで子宮で上に持ち上げられていた内臓がだんだんと下に下がってくるのを感じました。それも痛みがあります。「内臓が動くのをこんなにも感じるなんて、なんて貴重な体験なんだ!!」と思いました(笑)
こうしてしばらく起き上がった状態をキープする練習をして、その後、立ち上がる練習。足にうまく力がはいりません。転びそうで怖かったです。足って使ってないと、すぐにうまく使えなくなるんだと知りました。そして歩く練習。おなかが痛くてまっすぐ立てないので、最初は90度くらいに腰を曲げて、点滴の台につかまって、一歩一歩ゆっくりゆっくり前に出ていきます。そして一人でトイレに行けるようになりました。(露骨な話ですが、トイレで小をすると、膀胱がぎゅーっと縮まり、同時に傷口もぎゅーっと縮まって、これまた激痛。膀胱ってこんなに縮まるんだと思いました(笑)排泄物を出すだけでも、体ってすごいことしてるんだな。しばらくトイレに行くのが憂鬱でした。)
朝から夕方までそういう練習をして、いざ車椅子でNICUへ。夫に車椅子を押してもらいながら、一歩一歩近づくにつれ緊張。「この扉の向こうにいるんだよ」と夫。重々しい扉を二つ通り、手を殺菌消毒し、白衣を着て、わが子の保育器に近づいていきます。部屋の中はちょっと暗くて、ケースはライトアップされています。
初めて見る自分の子。ゆっくり動いていて、波に揺られてるみたい。目はつぶってるけど、表情は豊かで、伸びたり縮んだり、ひょっとこみたいな顔になったり。ただただ呆然と見ていました。触ってみると、今にもほろっととれそうな肉付きで、弱々しい。そのうちに泣き出しました。看護師さんが哺乳瓶の乳首をくわえさせたり(おっぱいを吸う練習で準備してある)、自分の手にうつ伏せにのせて、背中をとんとんしてあやしたりしています。私はまだおなかに力が入らなくて、抱っこすることができず、何もしてあげられないことがかわいそうで、また涙が止まらなくなってしまいました。「そんなに泣かないで。ごめんね、ごめんね」とひたすら謝りました。
ずっと見ていたかったけど、体もつらくなってきたので、病室に戻りました。同室の普通分娩のママたちは、分娩した日から自由に歩き回って、普通に食事しています。2日間点滴だけで何も口にしていなかったので、夜中におなかが空いてしまい、看護師さんに飴をもらいました。本来は翌朝まで食べてはいけないんですが、飴ならいいだろうということで。
それがわが子との初対面の日でした。
(つづく・・)
・・・そして、裏話② 〈マタニティブルー編〉
2011年02月11日
手術から丸一日たった日の夜、麻酔が切れて、意識が戻りました。救急車で運ばれて、緊急手術が始まって、いつの間にか終わって・・・自分が今どこにいるのか、何号室のどのベッドか、今何時なのか、まったくわかりません。腹筋が完全に切断されているので、おなかに力が入らず、声も出せません。寝返りも打てないし、近くのものも手を伸ばして取れません。(そもそも周りに何があるのか、まったくわからない)とにかく顔の向きを変えることくらいしかできません。この時点では、おなかの傷口の麻酔は効いていたみたいで、痛みはまだありませんでした。
口の中が気持ち悪いので、夫がうがいをさせてくれました。完全に寝たきりです。頭がぼーっとして、よく考えられませんでした。とりあえず、夫から、手術が無事済んだこと、赤ちゃんは危なかったけど無事で、今はNICU(新生児集中治療室)に入って治療していること・・などを教えてもらいました。このとき初めて赤ちゃんの写真を見せてもらいました・・・が、自分の子だという愛着がいまいち持てません。きれいに拭かれて、オムツして、点滴している姿。なんとなく客観的に見てしまいます。生まれたばかりで、まだ誰に似てるかもわからないし・・。でも、自分の子だと信じることしかできません。そんなちょっと否定的な感情でした。
夜遅く、夫が帰った後、同室の(何人部屋かもわかりませんが)、赤ちゃんの泣き声がカーテン越しに聞こえてきました。二人くらいが交互におお泣きしています。それを聞いていたら、だんだん私も悲しくなってきて、涙が止まらなくなってきてしまいました。特に何が悲しいというわけでもなく、精神的に不安定なのがわかり、「これがマタニティブルーか」と冷静に判断している自分もいました。
そこへ、助産師さん(あとから聞くと、この方は超ベテランでこの病院では一目置かれている)が偶然点滴を交換しに来ました。私はおおごとになってはいけないと思い、「大丈夫です、何でもないです!!」と先に言いました。すると、彼女は、
「いいのよ、大丈夫ですも、何でもないですも、言わなくていいのよぉぉぉー」
と部屋中に聞こえる大きな声でいいました。
ひぃ~っっ!!そんなんじゃない、そんなんじゃない!!
と心の中で言いましたが、彼女の迫力にはかないませんでした。
同じ部屋の人たちびっくりしただろうな
それから数時間後、おなかの麻酔が切れてきて、地獄の苦しみが始まりました。戦国時代、刀でおなかを切られて、こんな風に痛かったんだろうな・・っていう痛みでした(笑)麻酔は3時間くらいで切れてくるのですが、痛み止めの注射は5時間に1回しか打ってくれません。おまけに点滴で、大きくなった子宮を人工的に縮めていくので、その痛さも合わさって、強烈です。それに対しての痛み止めはないということなので、耐えるしかありませんでした。さらに体を動かせないので、そのせいで体もあちこち痛くなってきて、もうどこが痛いのがわからないくらい、全身が痛かったです。
この地獄の苦しみは、3日目くらいまで続きました
(つづく)
口の中が気持ち悪いので、夫がうがいをさせてくれました。完全に寝たきりです。頭がぼーっとして、よく考えられませんでした。とりあえず、夫から、手術が無事済んだこと、赤ちゃんは危なかったけど無事で、今はNICU(新生児集中治療室)に入って治療していること・・などを教えてもらいました。このとき初めて赤ちゃんの写真を見せてもらいました・・・が、自分の子だという愛着がいまいち持てません。きれいに拭かれて、オムツして、点滴している姿。なんとなく客観的に見てしまいます。生まれたばかりで、まだ誰に似てるかもわからないし・・。でも、自分の子だと信じることしかできません。そんなちょっと否定的な感情でした。
夜遅く、夫が帰った後、同室の(何人部屋かもわかりませんが)、赤ちゃんの泣き声がカーテン越しに聞こえてきました。二人くらいが交互におお泣きしています。それを聞いていたら、だんだん私も悲しくなってきて、涙が止まらなくなってきてしまいました。特に何が悲しいというわけでもなく、精神的に不安定なのがわかり、「これがマタニティブルーか」と冷静に判断している自分もいました。
そこへ、助産師さん(あとから聞くと、この方は超ベテランでこの病院では一目置かれている)が偶然点滴を交換しに来ました。私はおおごとになってはいけないと思い、「大丈夫です、何でもないです!!」と先に言いました。すると、彼女は、
「いいのよ、大丈夫ですも、何でもないですも、言わなくていいのよぉぉぉー」
と部屋中に聞こえる大きな声でいいました。
ひぃ~っっ!!そんなんじゃない、そんなんじゃない!!
と心の中で言いましたが、彼女の迫力にはかないませんでした。
同じ部屋の人たちびっくりしただろうな
それから数時間後、おなかの麻酔が切れてきて、地獄の苦しみが始まりました。戦国時代、刀でおなかを切られて、こんな風に痛かったんだろうな・・っていう痛みでした(笑)麻酔は3時間くらいで切れてくるのですが、痛み止めの注射は5時間に1回しか打ってくれません。おまけに点滴で、大きくなった子宮を人工的に縮めていくので、その痛さも合わさって、強烈です。それに対しての痛み止めはないということなので、耐えるしかありませんでした。さらに体を動かせないので、そのせいで体もあちこち痛くなってきて、もうどこが痛いのがわからないくらい、全身が痛かったです。
この地獄の苦しみは、3日目くらいまで続きました
(つづく)
・・・そして、裏話① 〈切開前編〉
2011年02月10日
前回と同じ話題ですが、今となってはちょっと笑えるエピソードがいくつかあったので、お話します。
大出血してトイレから出て、病院に電話をしたらすぐ来てくださいとのこと。夫を起こして、簡単に準備していたとき、台所にバナナがありました。私は自然分娩で産めるということしか頭になかったため、「これから長丁場になるし、腹ごしらえしていった方がいいかな」と。夫も「食べな、食べな」と勧めます。助産師さんから「初産は陣痛が始まってから出産までとにかく長い(平均で12時間とか?)だから、焦らず落ち着いて」と言われていたし、じゃあ・・と思ってその場でバナナを食べていきました。
家からかかりつけの個人病院まで、夫の運転する車に揺られながら、それまでまったく痛みがなかったのに、お腹が痛くなってきました。「きたきたきたっ!!!」とちょっと興奮しながら、マタニティセミナーで習った、痛み逃しの呼吸法「ふぅ~、ふぅ~」を一人でしていました。
個人病院から救急車で運ばれている最中、先生や助産師さんも一緒に乗っていて何も言われていないのに、一人で「ふぅ~、ふぅ~」。確かに痛みは逃せたけど、後から思えばそれは、
陣痛ではなくて、胎盤が剥がれていく痛みだったのでは!?
先生たちよく笑わなかったな・・。
総合病院に着くと、手術の準備が整っていました。手術の前にいろいろ質問されたり、サインをしたり・・。本来ならば前日までにしておくことをここで一気にするので無理もありません。
「きのう夕食は何時に食べましたか?」
「7時頃です。・・・あ、でもさっきバナナを食べました。」
「バナナですか!?」
「はい。」
ひととおり質問や説明が済んだ後、先生から一言。
「手術をするにあたり、特に問題はありませんが、
ただ一つ、強いて言えば、
バナナを食べたことです。」
先生のおっしゃるには、手術中に嘔吐した場合、
嘔吐物が肺にいって、肺炎になる恐れがあるということです。
予定帝王切開の場合は、前日から入院して、点滴のみで絶食だと後から知りました。
そして部分麻酔は激しい嘔吐に襲われることも。
あのとき食べない方がよかったんだ・・・
幸い、嘔吐しなかったみたいで無事に終わりました
(つづく・・)
大出血してトイレから出て、病院に電話をしたらすぐ来てくださいとのこと。夫を起こして、簡単に準備していたとき、台所にバナナがありました。私は自然分娩で産めるということしか頭になかったため、「これから長丁場になるし、腹ごしらえしていった方がいいかな」と。夫も「食べな、食べな」と勧めます。助産師さんから「初産は陣痛が始まってから出産までとにかく長い(平均で12時間とか?)だから、焦らず落ち着いて」と言われていたし、じゃあ・・と思ってその場でバナナを食べていきました。
家からかかりつけの個人病院まで、夫の運転する車に揺られながら、それまでまったく痛みがなかったのに、お腹が痛くなってきました。「きたきたきたっ!!!」とちょっと興奮しながら、マタニティセミナーで習った、痛み逃しの呼吸法「ふぅ~、ふぅ~」を一人でしていました。
個人病院から救急車で運ばれている最中、先生や助産師さんも一緒に乗っていて何も言われていないのに、一人で「ふぅ~、ふぅ~」。確かに痛みは逃せたけど、後から思えばそれは、
陣痛ではなくて、胎盤が剥がれていく痛みだったのでは!?
先生たちよく笑わなかったな・・。
総合病院に着くと、手術の準備が整っていました。手術の前にいろいろ質問されたり、サインをしたり・・。本来ならば前日までにしておくことをここで一気にするので無理もありません。
「きのう夕食は何時に食べましたか?」
「7時頃です。・・・あ、でもさっきバナナを食べました。」
「バナナですか!?」
「はい。」
ひととおり質問や説明が済んだ後、先生から一言。
「手術をするにあたり、特に問題はありませんが、
ただ一つ、強いて言えば、
バナナを食べたことです。」
先生のおっしゃるには、手術中に嘔吐した場合、
嘔吐物が肺にいって、肺炎になる恐れがあるということです。
予定帝王切開の場合は、前日から入院して、点滴のみで絶食だと後から知りました。
そして部分麻酔は激しい嘔吐に襲われることも。
あのとき食べない方がよかったんだ・・・
幸い、嘔吐しなかったみたいで無事に終わりました
(つづく・・)
私のお産
2011年02月09日
出産の話になったので、私のお産の話です。
(私の育児ブログで以前載せた内容なので、読んだことある方はスルーしてね)
今から2年半前のこと。
出産予定日を2日過ぎた日の早朝、何か温かいものが流れ出ている感覚で目が覚めました。「破水だ!」と思いトイレに駆け込むと、大量の血でした。後から後から流れ出て、止めることができません。20分くらいかかって、タオルを3枚あてて、やっとの思いで出られました。かかりつけの個人病院へ行くと、すぐに救急車で総合病院へ運ばれ、即手術が始まりました。
病名は「常位胎盤早期剥離」というもので、お産が始まっていないのに胎盤が剥がれてしまうものです。一気に剥がれると赤ちゃんは即死だったそうです。幸い、まだ1,2割しか剥がれてなくて助かりました。また、血が外に出たからよかったものの、中にたまってしまい「なんとなく気持ち悪いな」と感じるだけで終わってしまう人や、診療時間になるまで待ってしまう人もいるそうです。死産にならなくても、脳に障害が残ってしまう場合もあるそうです。また、私自身(母親)も「出血多量によるショック死」になる可能性があったそうです。実際、私の友達の知り合いも、この病気で赤ちゃんを失っているそうだし、母親が亡くなったケースも聞きました。
本当にぞっとすることばかりで、わが子が無事に生まれて(今のところ障害もなく)本当によかったと胸をなでおろしています。この病気は前兆もないし、原因もわからず、突然やってくるものだそうです。「普通に産めると思ってたでしょ、お産は何があるかわからないのよ」と助産師さんに言われ、改めてお産は命がけだと感じました。今わが子は元気に育っています。
今、医師不足で妊婦がたらい回しになってしまう事件や、胎児や赤ちゃんが捨てられてしまっている事件は、本当に心が痛みます。
今妊娠されている方も、ちょっと異変があったら油断せず、病院に問い合わせてください。
赤ちゃんが一人残らず無事に生まれ、育つことを願っています。
(私の育児ブログで以前載せた内容なので、読んだことある方はスルーしてね)
今から2年半前のこと。
出産予定日を2日過ぎた日の早朝、何か温かいものが流れ出ている感覚で目が覚めました。「破水だ!」と思いトイレに駆け込むと、大量の血でした。後から後から流れ出て、止めることができません。20分くらいかかって、タオルを3枚あてて、やっとの思いで出られました。かかりつけの個人病院へ行くと、すぐに救急車で総合病院へ運ばれ、即手術が始まりました。
病名は「常位胎盤早期剥離」というもので、お産が始まっていないのに胎盤が剥がれてしまうものです。一気に剥がれると赤ちゃんは即死だったそうです。幸い、まだ1,2割しか剥がれてなくて助かりました。また、血が外に出たからよかったものの、中にたまってしまい「なんとなく気持ち悪いな」と感じるだけで終わってしまう人や、診療時間になるまで待ってしまう人もいるそうです。死産にならなくても、脳に障害が残ってしまう場合もあるそうです。また、私自身(母親)も「出血多量によるショック死」になる可能性があったそうです。実際、私の友達の知り合いも、この病気で赤ちゃんを失っているそうだし、母親が亡くなったケースも聞きました。
本当にぞっとすることばかりで、わが子が無事に生まれて(今のところ障害もなく)本当によかったと胸をなでおろしています。この病気は前兆もないし、原因もわからず、突然やってくるものだそうです。「普通に産めると思ってたでしょ、お産は何があるかわからないのよ」と助産師さんに言われ、改めてお産は命がけだと感じました。今わが子は元気に育っています。
今、医師不足で妊婦がたらい回しになってしまう事件や、胎児や赤ちゃんが捨てられてしまっている事件は、本当に心が痛みます。
今妊娠されている方も、ちょっと異変があったら油断せず、病院に問い合わせてください。
赤ちゃんが一人残らず無事に生まれ、育つことを願っています。